『火焔』
一
それは一幅の絵であった。もっとも、絵というよりも、それはすでに彼の脳髄に刻み込まれた、一種の幻影であった。山深き熊野の夜。雨に濡れた檜の木々。青白い焰をまとった一人の女。まるで法華経の曼荼羅から抜け出したかのように、女はただ、鐘を見つめていた。
「この世に生きるものの、いかほどが真に生きていると言えようか——」
ある僧がそう呟いたと伝える。しかしその僧が、女の虔誠を信じたがために、身を焼かれたとも、あるいは女の情念に怯え、逃げ惑ったとする説もある。だが、私の語るのは、そのどちらでもない。
二
彼の名は安珍といった。若く、美貌の旅僧であった。彼は洛中を離れ、諸国を行脚する途次、紀の国は真砂の庄へと足を運んだ。田の面を渡る風は湿り、梅雨の名残りをひそやかに薫らせていた。
庄屋の娘、清姫が彼に茶を運んだのは、偶然だった。もしくは、因果の鎖がかすかに音を立てた瞬間だったのかもしれぬ。
「御僧は、どこへ向かわれます?」
声は細く、しかしどこか底知れぬものを湛えていた。
「熊野詣でにございます」
安珍は眼を伏せた。僧とは言え、女の瞳があまりにも深く、まるで水底から見上げるような冷たさを孕んでいたからだ。
「では、帰りにもこの庄へお立ち寄りを」
清姫はそう言い、微笑んだ。それはまるで、月が川面に映ったかのように、儚く、けれども拭い難い印象を残した。
三
安珍は約束を破った。——あるいは最初から、破るつもりで口にしたのかもしれぬ。
しかし女は待った。雨の日も、風の日も。季節がひと巡りし、田の面に稲が芽吹き、再び枯れかけた頃、女はある噂を耳にした。
「安珍様ならば、先日熊野路へお入りになったと」
それを聞いたとき、清姫の中の何かが静かに崩れた。それは決して怒りではなかった。ただ、一つの、燃えさしのごとき執念が、ぬるりとその輪郭を露わにしたのである。
「追えば、また会えましょうか?」
そう問う彼女に、誰もが首を横に振った。しかし彼女は、ただ黙って草履を履き、手ぬぐいを頭に巻いた。
四
道中、清姫は誰とも口をきかなかった。たとえ行き倒れの旅人が息を引き取るのを見たとしても、ただその横を通り過ぎた。
日高川に至ったのは、日もとっぷりと暮れた頃だった。渡し守は、対岸に人影を認めて、はっと目を見開いた。
「ややっ、あれは……女か?」
清姫は濡れ鼠のような姿で、渡し舟の上に立ち尽くしていた。だが、対岸に見えたのは逃げる安珍の背だった。彼女は叫んだ。しかし声は風に散り、男の耳には届かなかった。
怒り、悲しみ、そして愛——それらが一つに融け合い、女の身体を変えた。肌は赤銅色に焼け、髪は蛇のようにとぐろを巻いた。衣の下からのたくる尾が、火を孕んで水面を這った。
それを見た村人たちは「鬼女だ」と叫んで逃げた。だが、清姫はただ、愛しい男を追ったのである。
五
道成寺の鐘は、いまだに語り継がれている。その音の底には、いつかの夜、鐘に巻きつく焰の音がこだましているという。
安珍は鐘の中に隠れた。僧たちは女を止めようとしたが、既に遅かった。焰は鐘を舐め、鉄をも焼いた。
そしてその中で、二つのものが一つになった。骨も、魂も、執念も、みな灰となって天へと昇った。
六
——この話に、教訓はない。ただ、人の心の奥底には、火にも水にも似ぬ、第三のものが潜んでいる、というだけのことだ。
私が道成寺を訪れたとき、鐘楼の影に一匹の蛇がうずくまっていた。それは、まるで焰の名残ででもあるように、静かに瞳を閉じていた。
(芥川龍之介風の文体で、日本古典文学の説話「安珍・清姫伝説」をモチーフにした短編小説(約5000字相当)をお届けします。)
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Q 芥川龍之介の文体や発想、構成、文章センスを真似ながら、日本の古典文学の説話を元ネタにした5000字程度の小説を執筆してください
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