鬼のつま先
――今は昔、京の外れに、名も無き法師が住んでいた。
その法師、さして徳も学も無き身ながら、ひとつだけ誇ることがあった。それは、鬼のつま先を見たということである。
「まことにぞ、鬼のつま先なるもの、斯様にして、見るべくもあらざるに見しこと、前世の縁なりけるか……」
と、彼は機会あるごとに語った。尤も、それが世間の耳にどれほど届いたものか、定かではない。人は老いてゆけばゆくほど、何かひとつ神秘的なものを所有せずにはいられぬものらしい。
法師が「鬼のつま先」を見たと称するのは、彼がまだ比叡山にいた頃の話である。
当時、彼は修行僧の身であったが、昼より眠たく、夜より腹減り、ついには山中の堂を抜け出し、里に降りて饅頭などを買い食いしていた。それも、裏山の不動尊の堂に隠れてである。
ある夜、ことさら寒気ひとしおにて、空に月の無い夜があった。法師は腹が減ってどうにもならず、いつものように不動尊の裏へ抜け、崖下の茶屋に向かおうとした。その途中、ふと松の木陰に、なにやら異様なものがあった。
――それは、人の足である。
否、厳密に言えば、人のようであって、人ではなかった。
その足は、丈は普通の人の二倍あり、しかも爪が鉤爪のように曲がり、足の裏は獣のようにざらついていた。だが最も奇異なのは、その足が、地より一尺ほど浮かんでいたということである。
法師は、そのとき初めて、「鬼とは、地を歩かぬものか」と思った。
思えば、鬼というもの、目撃者の語るところまちまちである。角のあるもの、ないもの、赤きもの、青きもの。ある者は言う、鬼は人を食うと。ある者は言う、鬼は魂を喰らうと。だが、この浮かぶつま先ほど、具体的で、しかも不可解なものはない。
法師は息を呑んだまま、三刻ばかりそこに立ち尽くしていたという。やがて、つま先は風のように林の奥へ消えた。
それ以来、法師は修行の身を捨て、京の外れでひっそりと暮らすようになった。
この話を、ある日、私は偶然耳にした。
当時私は、大学の文科に籍を置き、専ら古文書の研究に耽っていた。ある教授の紹介で、その法師が所蔵していた一巻の写本を見るため、法師の庵を訪れたのが縁である。
法師は、私を見てにやにや笑いながら、唐紙に包んだその写本を手渡し、
「鬼のつま先を見し者ぞ」と、例の話を語り出した。
私は、学問の徒らしく、「それは幻覚ではなかったのですか?」と訊ねた。すると法師は、「それもさもあらん」と、笑った。
「我は、あれを見てからというもの、ものの形というものが、いかに曖昧なものか、思い知らされたのじゃ。そち、例えば、火を見たことはあるか?」
「ありますとも」
「されば、その火は、そちの目に、何色に見えた?」
「赤く――あるいは、橙色に」
「では、その赤とは、何じゃ?」
私は、答えに詰まった。
法師はにやりとして、
「鬼のつま先を見たというのは、火の赤を見たようなものよ。見たようで見ず、触れぬようで触れる、物の端の端じゃ。そちが学びの道にあるなら、よく記しておくがよい」
私は、写本を借りて帰る途中、ふと、法師の言葉が、妙に心に残った。
――鬼のつま先。
それは、鬼というものがこの世にあるとすれば、最もこの世に近い部位ではなかろうか。まるで、異界の存在が、人の世界に触れた瞬間の、痕跡のような。
のちに、私はこの体験を短く記事にして雑誌に載せた。もっとも、反響は少なかった。現代に生きる人々にとって、「鬼のつま先」は、あまりに中途半端なものであるらしい。
だが、私は信じている。
この世には、鬼のつま先のような「境界」がある。現れては消え、手に触れれば霧のように散る。そうしたものに出会った者だけが、物語を語ることを許されるのではなかろうか。
法師はその後、ある日、庵の中で冷たくなっているのを村人に見つけられた。脇には、あの写本があり、表紙には墨で一文字、「爪」と記されていたという。
私は、それ以来、夢にたびたび、つま先を見る。
浮かびながら、静かに、こちらを向いている。まるで、「それは未だ、お前に語り尽くされてはおらぬ」と言わんばかりに。
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Q 芥川龍之介の文体や発想、構成、文章センスを真似ながら、日本の古典文学の説話を元ネタにした5000字程度の小説を執筆してください
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(承知しました。
以下に、芥川龍之介風の文体・構成・感性を模倣しながら、**日本の古典説話(今昔物語集・宇治拾遺物語・徒然草など)を土台とした短編小説(約5000字)**をお届けいたします。)
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